牧師紹介 Our Pastor
麦野達一 Tatsuichi Mugino
1969年 東京生まれ 鹿児島育ち
小5でトランペットに出会い、中学校でホルンに転向。高校でもホルンを続け大学では専攻する。
大学卒業後さらなる音楽の学びを志しアメリカへ渡るが、牧師への献身の思いが与えられ、神学校に進む。
鹿児島県立伊集院高等学校、玉川大学文学部芸術学科音楽専攻卒業
米国テキサス州のSouthwestern Baptist Theological Seminaryで神学と教会音楽を学ぶ。
帰国後は西南学院大学神学部で1年学んだのち、牧師となる。
2000年〜2008年 相模中央キリスト教会副牧師(青少年・音楽担当)
2008年〜2019年 伊集院キリスト教会主任牧師・伊集院幼稚園副園長・園長
2019年〜 福岡西部バプテスト教会牧師
西南学院大学非常勤講師(キリスト教音楽・教会音楽)
日本バプテスト連盟ホームレス支援特別委員会委員長
ハンガーゼロ(日本国際飢餓対策機構)理事
社会福祉法人シオンの丘 愛の園保育園評議員
学校法人若松神愛学園 神愛幼稚園理事
学校法人西南学院理事
家族は妻と3人の息子と2人の里子
趣味はスポーツ鑑賞、CD収集、ホルン演奏、サイクリング(Cannondale CAAD10)
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今週の巻頭言
2025年3月16日
たとえ分からなくても
本日は召天者記念礼拝です。この世での生を全うし、天に召された方々を憶えます。すべての人にとって最も身近でありつつ、最も遠くにあってほしいと願うものが「死」です。この世に生きるものにとって死とは誰も逃れることのできない現実なのです。
伝道者パウロは言います。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。/死よ、お前の棘はどこにあるのか。」(Iコリント15:55)パウロは死とは人にとっての最後の敵であると言います。誰にでもやってくる死なのですが、それはあくまでも納得できないこととしてやってきます。死にたくないのに死ななければならないことがあり、死ぬべきでないのに死んでしまうこともあるからです。早すぎる死、納得できない死、受け入れられない死というものがあります。死とは人間にとって必ずしも自然ではありません。人間にとって矛盾でしかないこの死のことをパウロは最後の敵というのです。そのような矛盾である死は、その出来事に答えを出すことなく、むしろ問いを残して過ぎ去ってしまうのです。「なぜですか?」「なぜあの人が死ななければならなかったのですか?」ウクライナで、ガザで、能登で悲痛な叫びで聞こえてきます。
しかしパウロは、その敵である死に打ち勝つためにキリストは死からよみがえられたとの信仰に立ちます。故に彼は「キリストが復活しなかったとすると伝道は無駄なこと、信仰なんて意味がありませんよ」と言います。一見馬鹿馬鹿しく無意味に思えるこの信仰に、実は深い真理が隠されているのです。パウロは死の残す問いに答えを出そうとします。彼はキリストの復活を信じることによって、死の彼方にもう一つの世界を見ます。たとえこの世で結論を得なくても、死を超えた向こうで全てを引き受ける方がおられると信じるなら、たとえこの世で果たせないことがあっても、決してこの世での人の営みは無駄とはならないと教えるのです。宗教改革者ルターは「キリストは死の死となられた」と語ります。死に完全に勝利するのはキリストのみです。
クリスチャンとは、この死に勝利された方を救い主と信じ、人生をかけてこの世の生涯を送る人です。自分の中には答えはないと理解しつつ、たとえ自分は分からなくてもそれを分かってくださるお方がいるので大丈夫だ、と自分自身を委ねることができる人です。今日はそんな人生を送られた信仰の先輩たちを憶えつつ、祈りの中で過ごしましょう。